リーダー
変貌するヨーロッパ(大藤圭三)
自由課題レポート
欧州雑感/真玉橋晃
私の見た感じたEU/高橋孝徳
ヨーロッパの「光」と「陰」/佐藤昌則
パリで感じたこと/原 敏寿
ヨーロッパは北海道だった/桜庭 望
EUセミナー雑感/十河栄一
哀愁のヨーロッパ/兒玉宏行
ホームステイ先での失敗/服部謙三
固定観念の扉を開放/鈴木秋弘
EUセミナーに参加して/中峯健一郎
EUセミナーに参加して/小畑幸彦
ヨーロッパ雑感/杉浦 明
外から見てみると……!/山本 忠
帰国して思う/風間仁子
行って見なけりゃわからない!/菊池篤志
三国訪問記〜EU〜/村木聖一
井の中の蛙・・・/金子初男
「EUセミナーに参加して」/中尾雅文
セミナー雑感/森田 学
|
自由課題レポート
訪欧雑感
真玉橋 晃
今回のEU3カ国(フランス、ベルギー、ドイツ)
の訪問研修に、胸をときめかせて参加した。
以前より何となく憧憬を抱いていたフランスや
ドイツの町並みやそこに住む人々を直に見てみた
いという単純な思いと、自らの職場と同じような
諸施設を訪問する事によって、相互の違いを認識
し、今後の実践に大いに役立てようという2つの
思いを胸に、私の初訪欧の第一歩をパリに記した。
(社会教育施設について)
研修期間に、20カ所近くの施設等を訪問したが、
私の主な目的は社会教育施設であったので、それ
についての感想を述べる。
訪欧前の私の考えは、諸施設の持つプログラム
を学びたいというものであった。どのようなステ
ージでプログラムを展開していくのか。しかし、
訪れた全ての施設において、私のまったく想像も
しなかった答えが返ってきた。まずプログラムに
ついてであるが、利用するグループが企画立案を
するのである(勿論施設側からの指導助言はある)。
施設側は内容を十分に検討し、了承した段階で当
局と予算等の交渉をし、活動日程等の調整を図っ
ていくのである。用意したものを与えるのではな
く、相手が求めるものを実践していく形なのだ。
もう一つは、このようなプログラムを支援・実
践していく目的である。それは非行の防止なのだ。
諸施設の責任者やプログラム担当は口をそろえて
そう言うのである。裁が国ならさしずめ仲間づく
りだとか、健やかな心の育成等の文言を考えるだ
ろう。これには彼らの置かれている社会状況がそ
の背景にある。多民族国家、多くの外国人の流入、
麻薬や暴力の増加及び低年齢化。そのような状況
下で社会教育施設は「今」何をすべきなのかが問
われているのである。勿論仲間づくりや健やかな
心の育成も非行の防止と表裏一体ではあるが、将
来ではなく現在に答えを求めて活動している施設
の危機感、緊張感を強く感じた。同行した北海道
のS氏のホームページに書かれていた「(欧州の)
学校外活動は、移民や外国籍の人々に門戸を開き
社会への適応術を授ける重要な手段となっている。
さざ波で大騒ぎする日本の状況と比較し、大波を
受けながらも進路を見失わないヨーロッパの強さ
を感じた」同感である。社会問題に対する社会教
育施設の視点が敏感で鋭いということは、社会状
況が違うとはいえ、重要なことであることを認識
させられた。
(その他)
笑顔は世界共通のコミュニケーションの手段で
ある。しかし、見つめ合うだけで十分なのは恋人
同士であって、我々は次の手段を講じなければな
らない。それは言葉(会話)である。ホームステ
イではこれを思い知らされた。日本語を知らない
フランス人とフランス語を知らない日本人が一緒
に過ごす2泊3日は、辛く楽しく本当に貴重な体
験であった。内容について省くが、フランス人で
あろうが日本人であろうが、又何人であろうが所
詮同じ人間、解り合おうと努力することこそが大
切だと実感した。
十月下旬のヨーロッパは、南国生まれの私には
やはり寒く、その中で歩き回っての各所訪問はき
ついものがあった。しかし、歴史を感じさせる教
会や町並み、燃えるような紅葉の森、美術館での
ひととき、美しい婦人の青い瞳。「ヨーロッパだ
な〜」としみじみ思った。
旅を楽しく充実させてくれる最大の要素の一つ
は、その構成メンバーである。その意味でも今回
のEU研修は、個性派且つ心根の優しいメンバー
がそろい、旅を最高のものにしてくれた。その一
員に加えてもらったことを心から感謝している。
いつの日か再会できることを願っている。
最後に、このような研修の機会を与えてくださ
った世界青少年交流協会の皆さん、リーダーの大
藤さん、そして職場の所長はじめ職員の皆さん、
本当にありがとうございました。
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私の見た感じたEU
高橋 孝徳
11月3日ポンからフランクフルトヘ向かうバス
の車中、マイン川の記録的な増水を車窓から眺め
ている時、頭の右半分では、「主催事業の所長ヒ
アリング資料がまだできていない。帰ったらすぐ
に作らねば・・」と仕事のことを考えていた。
11月4日EUセミナー終了。11月5日自宅でパ
ソコン三味。11月6日出勤し、みんなに一応
「bonjour」と挨拶を交わす。すぐに昨日作った
資料をコピーにかけ、あわただしく説明のために
所長室へ・・。
という具合に、参加者の皆さんは職場復帰のリ
ハビリをされたのではないでしょうか。
さて、初めてのEU諸国(といっても3か国で
すが)、さすが長い歴史の中から時間をかけて創
られた国々だなとつくづく感じました。
アバウトであることが合理主義と個人主義のあ
らわれかなと思ったフランス、多くの隣国と接す
るという地理的条件からきた過去の歴史と多彩な
文化を今も大切にしているベルギー、何事にもス
ケールが大きく時間に正確で一つ一つの規律を重
んじるドイツ。
これらの国々の、日本と違った雄大な自然とゆ
っくり流れゆく時間、長い歴史を感じさせる建物
の数々、そして、歴史をかけて創られた国がEU
統合という今まさに変わろうとする姿と今抱えて
いる青少年に関する様々な問題など(就職難から
くる目標を失った青少年の様子)を目の当たりに
させていただき、世界の多様性と日本への再認識
をしました。
これらの中でも特に印象に残っているのが、最
初の訪問国であるフランスです。日本との違いに
カルチャーショックを受け、それまでの狭い日本
の常識がいっぺんに覆されてしまいました。
カルチャーショックその1は、フランスの交通
事情です。特に、赤信号でも車が来なければ平気
で横断歩道を渡る信号無視、交通事故が起きない
のが不思議なくらいの車の割り込みに違和感を感
じました。
最初は慣れずに信号待ちをしていましたが、私
たちの横を堂々と信号無視して渡っていくパリジ
ャンやパリジェンヌを見ていて、「自分の責任に
おいて行動するのが当然なのかなぁ」と勝手に解
釈し、いつの間にか私たちも渡っていました。ま
た、凱旋門周辺など日本では考えられない割り込
み状況で、ヒヤヒヤしながらの移動でした。
カルチャーショックその2は、ホームステイの
経験です。
私一人と老夫婦のみの2日間の生活体験は、身
振り手振り(ボディーランゲージ)の大切さを教
えてくれ、仏語や英語での会話が出来ない寂しさ
と悔しさを体験できました。
ホストファミリーのデュクロ・ジョイノヴィエ
イさん(団員にアミアン市内の案内をしていただ
いた女性の方)の英語の達者なことには驚きまし
た。話好きだとボワイエさん(アミアンの受入団
体の代表の女性の方)から聞いていましたが、lO
分間立て続けに英語で話され、相づちを打つ暇も
ない程でした。(でも理解できたのは少しだけで
すが・・)
フランスの日常生活は、経済的で無駄のない生
活でした。例えば、必要以外の直接照明を消し、
間接照明灯中心でムードある生活を創り出し、ま
た、テレビをつけず家族の会話の時間(特に食事
中の会話)を大切にするなどが感心しました。
その中で心のこもった本当の意味でのもてなし
を受け、その在り方を考えさせられ、日本の来客
に対するもてなしの在り方(あちらこちらと来客
を連れ回し、食事は外食中心で・・)を反省しま
した。
カルチャーショックその3は、失業に悩む青少
年が多いことです。日本でもその傾向が出はじめ
ていますが、比ではありませんでした。
高校生のデモが、我々のEUへ出発する直前に
おこなわれ、自分たちの学習権を求めての直接交
渉がなされました。「先生が足りない、授業が行
われてない、教育環境が整備されていない」など
バカロレアを目指す高校生にとって最も重要な問
題だったと思います。そして、そのデモをした高
校生を高く評価している高校の先生方の姿を見て、
日本では絶対と言っても良いほどあり得ない行為
に、私自身の中では戸惑いと先生への感心と尊敬
の気持ちがわいてきました。
最後になりましたが、この研修の機会を与えて
いただきました、世界青少年交流協会並びに各国
の受入団体の関係者、職場の皆様に心より感謝申
し上げます。
そして、リーダーをはじめとする参加者の皆様
すべてと共に過ごせたからこそ、この思い出があ
るのだと感謝しています。楽しい時間をありがと
うございました。
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ヨーロッパの「光」と「陰」
佐藤 昌則
出不精の自分がヨーロッパまで行くことになっ
たのが未だに信じられない。シャルル・ド・ゴー
ル空港上空からみたフランスは、点在する集落と
それを取り巻く緑、そして広大な畑であった。ト
ラクターで耕された畑は幾何学的な模様のみごと
さがあり、農業立国としての力強い現実とこれか
ら始まる異文化との遭遇を予感させるのに十分で
あった。
1.百聞は一見に如かず 文化香る街並み
パリ市内に入ると枯れ葉の舞う季節。ルーブル
やオペラ・ガルニエなどの巨大な石の建造物の街
並みにまず圧倒される。目障りな電柱や華美な看
板はなく、赤を基調とする色とりどりの花が建物
の窓に彩りを添え、中世からのイメージを色濃く
残している。建物は外観をそのまま残すことが法
律で義務づけられており、勝手に変更することは
できないそうだ。石畳の路上の両側には車が列を
なして駐車し、縦横無尽に疾走する車と赤信号で
も平気で横断する人々の姿もパリならでは。先進
性や機絶性を重視し、ビルト&スクラップを繰り
返す日本に比べ、古きよき歴史や伝統を国を挙げ
て保存・継承する姿に心地よいショックを受ける。
2.百見は一験(体験)に如かず ホームステイ
ジョン・ピエール夫妻は、森田さんと私の二人
を暖かく迎え入れてくれた。夫妻は持って行った
家族の写真やおみやげの品々を大変喜んでくれ、
夜はフルコースで私達を歓迎してくれた。言葉が
思うように通じず、もどかしさを感じたが、ゆっ
たりとした時の流れの中で身振り手振りの交流を
楽しむことができた。自慢のワインや料理でも無
理強いせずこちらの意志を尊重してくれるのはあ
りがたい。
ダイニングには重みのあるサイドボードと暖炉
があるだけ。朝食はスライスしたフランスパンと、
どんぷりほどの容器に入れたコーヒーで済ます。
ピエールは、リビングの日本製テレビとビデオを
自慢げに見せてくれた(革製品といえばピトン、
グッチ、エルメス…を連想するように、彼らもM
ITSUBISHI,TOSHIBA、…といった日本の電化製品に、
優秀さと一種のステイタスを感じている)。ピエー
ルの長年の愛車は屋根から雨漏りするが、まだま
だ大切に乗るらしい。総じて家庭生活は質素で賛
沢さは感じられない。印象に残っているのは生活
の様々な場面で受けた「真心」のもてなしの数々
だ。フランスの家庭生活に直接触れる機会を通し
て、「伝える情熱の大切さ」を痛感するとともに、
彼らの習慣やものの見方や考え方を垣間見ること
ができたのは大きな収穫であった。
3.視察研修を通しての感想 「多様性」
フランスの学校制度は複雑である(ベルギーや
ドイツでも同様である)。なぜ日本のようにもっ
とすっきりした制度を採用しないのか。だが実際
に行ってみてなるほどと得心できた。いろいろの
肌の子どもたちがいる。生活がちがう。環境もち
がう。そして考え方もちがう。多様なコースを準
備しないとべースの違う子どもたちに対応できな
い現状にあるのだ。
今回、各地を視察して強く感じたことは、この
「多様性(Diversity)」ということである。フラ
ンスのみならずEU諸国は、国内において民族、
言語、文化、宗教など多くの面で深刻な多様化の
問題を抱えているのが分かる。同時に、移民、失
業、麻薬等の社会的課題及びEU統合に向けた政
治的問題が加わる中で、互いにそれらをどう融和
し、どう独自性を保っていくか、今真剣に模索し
ているのが感じられた。島国の日本と異なり、陸
続きの各国は、ヨーロッパ統一という共通の夢に
向けて少しでも有利に生き延びようと、したたか
な戦略を持って日夜駆け引き・交渉を重ね、切磋
琢磨している。ユー口が1月からEU共通通貨と
して使用されると、保有量は円を抜いて、世界の
機軸通貨であるドルさえも脅かす存在になると聞
き、ヨーロッ・パは国内に様々な陰を有しつつも、
将来の光を見据え、確かな一歩を重ねていること
を実感した次第である。
15日間は100年来の悪天候といわれるほど雨
が多く、天候には恵まれなかったものの、教育施
設研修視察に加え、見学、ホームステイと多面的
に研修する機会を得るとともに、激動の中にある
3か国を通じてヨーロッパの「光」と「陰」を肌
で感じた旅であった。
最後にこのようなすぱらしい機会を提供してく
ださった世界青少年交流協会及び15日間の研修を
支えてくださった団員の皆様方、そして職場の方
々に心から感謝申し上げたい。
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パリで感じたこと
原 敏寿
今回のセミナーで最初に訪れ、初めてのヨーロ
ッパの地として印象深かった、パリでの思いをま
とめてみたい。
パリに到着してまず目についたのは、「落書き
(なのかどうか実のところよく分からないのだ
が)」である。空港からパリ市内へ向かう途中、
高速道路から見える外壁に、とても上手な模様が
描かれていた。このような光景は、この後、いた
る所で目にしたが、その数の多さと上手さに驚い
た。いったいあれは、誰が何のためにどのように
描いているのだろう。自宅の塀に無断で描かれて
いるとしたら、何か問題は起きないのだろうか。
そんな心配をしてしまった。
パリ市内に入ると、いかにも我々が「パリ」と
聞いてイメージするような、古めかしい重々しい
石造りの建物が、あちこちに現れてきた。やっぱ
りパリである。しかし、そんな美しいイメージと
は裏腹に、町には路上駐車の車があふれていた。
道の両側に、びっしりと車の列である。動いてい
る車もすさまじい。ラッシュ時、交差点に進入す
る車もかなり強引である。歩行者が、無理に道路
を横断する姿も見られる。正直言って、少々マナ
ーの悪さにあきれてしまった。ところがである。
パリにしばらく滞在していると、見方が変わって
きた。よく見ると、ロータリーになっている交差
点など、実にスムーズに流れている。そう思って
見ると、路上駐車も決して無茶な止め方ではなく、
整然と並んでいる。路肩は、はっきりと駐車スペ
ースなのである。交差点での様子もしかりである。
変な表現だが、強引な中にも、スムーズさがある
のだ。規則は尊重しながらも、それ以上に自分自
身の判断を尊重し、自分勝手なようで周りに対す
る配慮がある、こんなフランス人気質のようなも
のが感じられた。
また、有名な観光地では、入り口に座り、帽子
や箱などを自分の前に置き、お金を求める人の姿
があった。並んでいる人の裾を引う張り、お金を
求める少女の姿も目にした。このようなことは、
日本では決して目にすることのできない人々の姿
である。かなりショッキングなシーンであったが、
これも現実のパリの姿であると実感した。今まで
の私のパリのイメージは、美しく何もかもがすぱ
らしいというような、表面的な偏ったものであっ
た。今回の訪問は、パリも、決して美しい面ばか
りではなく、このようにさまざまな人々の暮らし
があることを知らせてくれた。パリの中でも、光
の部分もあれば陰の部分もあるのだ。そして、い
ろいろな文化を持ち、多様な生活をしている人々
がいることを認めていける社会なのだ。
さらに今回の訪問は、日本の社会について改め
て考える機会ともなった。交通マナーなど、まさ
に日本らしさを表していると感じた。都市部では、
比較的駐車場が整備されており、路上駐車はあま
りない。信号もきちんと守られている。みんなが
ルールを守ることが大前提となっている。言い換
えれば、お互いを信頼することによって社会が成
り立っている、信頼関係の社会である。反面、交
通の面で言えば、信号に頼り切ってしまい、信号
が青であれば安全であると思いこみ、自分で状況
を判断しないというような面がありはしないだろ
うか。また、法律ばかりを重視し、法律で決まっ
ていれぱ、それは遵守するが、規則で決まってい
なければ、自分だけの都合で行動してしまう。何
かそのような気質もあるように思う。今までこん
なことはあまり考えることはなかったが、今回、
パリの文化に触れることによって、日本人の長所
も欠点も見えてきた。この点でも今回の研修は、
私にとって有意義なものとなった。
最後に、今回の研修で大変お世話になった世界
青少年交流協会、職場、団員の皆様方に心より感
謝申し上げ、研修のまとめといたします。
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ヨーロッパは北海道だった
桜庭 望
夜明け前のポン市内、べ一トーベンの生家を訪
れた。5日もボンに滞在していたのに、出発の朝
に早起きして、やっと楽聖誕生の現場に立つこと
ができた。わずか5分でも、そこにいるだけで満
足ではあった。
フランスの紙幣にもなっているドビュッシーが
あんなに素晴らしい音楽が書けたのもわかるよう
な気がした。ラヴェルや他のフランスの作曲家は、
みなフランス人だからああいう音楽なのだ。
べートーペンやブラームスの音楽が、あんな風
になる理由もわかる。それはドイツ人だから。
ドイツを去る前にメツガースさんから訪問団に
記念のCDがプレゼントされた。リーダーの計ら
いで、代表で私がいただいた。曲はスプリングソ
ナタ。弾けないところはすっ飛ばしてCDに合わ
せて下手なバイオリンを弾き、一人で気持ちよく
なっている。とてもいいものをもらってしまった。
フランスで最も感激したのは旧オペラ座の内部。
入った瞬間に目がくらんだ。スコアライブラリー
を見て心が踊った。あまりにも凄い。日本に戻っ
てから新国立劇場へ行った。フランスとは伝統そ
のものが違うので、日本の新しいオペラ座は比較
しようがない。しかし、「ヘンゼルとグレーテル」
を見て、毎度のことだが1、2幕で2回ずつ計4
回も泣いてしまう。日本のオペラ界もますます頑
張って欲しい。フランクフルトでもケルンでも中
心街にはオペラのポスターが目立った。オペラは
伝統文化であり、大衆文化でもある。
伝統と言えば、フランスでもドイツでも、テレ
ビで見るサッカーのニュースは素晴らしかった。
朝からスーパーシュートを次々と見せつけられ、
絶句する。日本と比べる気力さえ失せてしまう。
これも伝統の違いなのか?
EU旅行中に電子メールを通じてJリーグの結
果を気にしていた。帰国1ケ月後に、わが応援す
るコンサドーレ札幌はJ1参入戦に破れ、リーグ
落ちが決まった。欧州人は「女房は途中で変えら
れるが、好きなサッカーチームは絶対に変えられ
ない」と言う。全くその通りだ。幸い我が家は夫
婦そろってコンサドーレファンなので、女房は変
わらない。来年もスタジアムで赤いバンダナを巻
いて「コンサドーレ!」と叫び続けることだけは、
はっきりしている。イタリア人はサッカーが人生
の最大の楽しみらしい。それもいいような気がす
る。人生が音楽とサッカーを楽しむためのもので
あると思えば、日本人でも欧州の都市生活者とさ
ほど変わらない。フランス北部からドイツの風景
は北海道とよく似ている。ポン市内を収穫したビ
ートを満載したトラックが走り過ぎていく光景は、
オホーツク地方の11月と同様である。
旅先で真玉橋さんが住む沖縄の話をいくつか聞
いた。異国情緒に富んでいた。ヨーロッパを旅し
ていながら北海道と同様の車窓を眺めていると、
沖縄は外国のように思えてくる。
今回の旅で、ひとつの貴重な結論にめぐりあっ
た。それは、「外国へ行くなら沖縄が一番かもし
れない」ということである。北海道とヨーロッパ
に大きな違いはないが、沖縄は激しく違う。日本
の多様性を高めている沖縄は貴重な存在である。
こうした日本各地の素敵な人々と出会うことによ
って、日本を再認識できたことはとても意義深い。
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EUセミナー雑感
十河 栄一
1.はじめに
私が、今回の研修で期待していたことは、学校
施設の見学とホームステイであった。ただ、もう
少しフランス語を勉強すべきであったと後悔して
いる。
2.パリにて
シャルル・ド・ゴール空港からパリ市内へ向か
うバスの中で、通訳のジョジョ氏が「皆さん方は
フランス語が流暢だと聞いていますので、これか
らフランス語で自己紹介します」と言い、いきな
り、自己紹介を始めた。これには、驚かされこの
先、どうなるのだろうかと真剣に考えてしまった。
まもなく冗談であることが判明するや、ホットし
た。
車窓から見えるパリ郊外は、曲線の畑が続いて
いた。やがて、中世の街並みが迫り、遠くにはエ
ッフェル塔が見え、パリに来たという実感が湧い
てきた。
パリでの訪問先であった「ジュアンルルカ高校」
の印象であるが、校舎が独立した建物ではなく、
アパートと隣合わせのような様子で、中に入るま
では学校とは思われない感じであった。教育事情
の説明後、校舎の見学をさせてもらい驚いたこと
は、学生が堂々と喫煙をしていても、誰も注意を
していなかったことである。後でジョジョ氏に聞
いてみると、フランスでは特に規制がないという
ことであった。
また、先生方に対する評価を、学校長、教育委
員会によってなされるということで、日本との違
いを感じた。
「仏独交流センター」訪問の感想であるが、こ
の施設の目的は、両国の平和に貢献するというこ
とであり、これまでの3度の戦争による反省を込
めて設立されているという説明を聞き、大変興味
深かった。
3.アミアンにて
列車の中では、必死になってフランス語での挨
拶と簡単な自己紹介ぐらいはと思い暗記をしたの
であるが、いざホームステイ先のマダムと対面し
た時は、緊張してほとんど言葉がでず、自分の名
前を言うのがやっとであった。マダムも案の定フ
ランス語しか話せなく、私には、ほとんど話の内
容がわからなかった。しかし、パートナーの真玉
橋氏は、内容が理解できたため、通訳をしていた
だき、大助かりであった。
幸い、娘さん(17歳)と息子さん(14歳)は、
かたことの英語を話せるため、何とか会話をする
ことができた。
私はこの時、フランスの英語教育に大変興味を
持たされると同時に、やはり、普段の生活の中で
も英語を話す機会が多いのだなと感じさせられた。
2泊3日のホームステイであったが、色々な面
で、フランスの事情を垣間見ることができ、本当
に有意義な訪問であった。
4.ベルギーにて
ベルギーと言えば「フランダースの犬」を真っ
先に思い浮かべる。私は、何かこの物語に関する
ものがないかと、訪ねる場所毎に探し求めたが皆
無であった。
もう一つは、「EU本部」である。ホテルから
30分ほど歩いた所にあった。古い建物の町中に近
代的な巨大ビルがそびえ、何となくEU本部では
ないかと思われた。何となくと言うのは、大きな
看板も標示物もなく、ただ正面入り口の所にEU
の旗がなびいているだけであったからである。私
は、この本部が今後日本のTVにも頻繁に映し出
されるであろうことを思い、目に焼き付けておき
たいと感じた。
5.ドイツにて
バスでベルギーよりドイツヘ向かう車窓からの
風景は、北海道と似通っていると感じた。違う点
は、森林に熊笹が見られないことと、あまり高い
山が見られない点である。
ドイツに入り・長雨によるライン川の氾濫が見
られ、人家が水びたしの光景を目の当たりにした。
ポン市内のホテル到着が予定よりかなり遅れ、
通訳の方と説明の方には、大変迷惑をかけること
となった。おかげで、その日のレクチャーは、夕
食後の午後9時30分より行うことになった。ドイ
ツ人は勤勉であるということを、改めて認識させ
られた。
ドイツでは、どの訪問先でも大変きれいに整え
られ、学校や他の教育施設においても日本と似通
っていて、気持ちが落ち着くようであった。
また、説明者の話の中によく「アイデンティテ
ィ」という言葉が使われ、国民性がよく現れてい
ると実感した。
ドイツでは、旧東ドイツとの統合が完全に解決
されてはおらず、失業問題が深刻であるというこ
とだ。また、移民、難民問題や18歳以上の兵役に
関しても見直しの時期にきているということであ
った。それから、豊かすぎる生活環境は、家庭の
崩壊につながり、学校が基本的なことまで教えな
ければならないという現状を耳にし、まさに日本
と共通の課題であると感じた。
6.終わりに
この約2週間のセミナーは、大変貴重な体験に
なった。それぞれの国の国民性、教育、生活等を
感じ取ることができた。そして、素晴らしいたく
さんの人たちとの出会いがあり、今後の仕事の励
みとしたい。
このような機会を与えてくださった世界青少年
交流協会始め関係各位に感謝申し上げたい。
TOP
哀愁のヨーロッパ
兒玉 宏行
プラタナスの枯れ葉舞う晩秋の街中を我々はよ
く歩いた。研修プログラムに従い、次の目的地へ
向かうために。わずか1O分程度の歩行の間に、き
れいに紅葉した落ち葉を数枚拾い研修ノートに挟
む。アパートのあちらこちらの窓際からたれさが
っている赤や紫の花の種類を確認する。歩道に並
ぶ街灯の曲がりくねった形の品の良さをスケッチ
におさめる。
私にとって初めての海外研修。テレビの映像や
グラビアでしか見ることができなかったヨーロッ
パ。今、パリの街を歩いているのだと思うと夢の
中にいるようで、どんな小さなことでもこの目で
確認しておきたかった。
強烈な個性とタッチで描かれたゴッホの本物の
絵の前で釘付けになり鳥肌が立つほど感動したオ
ルセー美術館を後に、セーヌ河畔をひとりで歩く
チャンスにめぐり会えた。お城や遠くのエッフェ
ル塔が河畔の向こうに映えるようにアングルを変
えては、カメラのシャッターを何回もきった。忘
れまいと瞼に焼き付けスケッチもした。
我々は、都市から都市へは専用のバスで移動し
た。バスの車窓から眺める景色は、まるでおとぎ
の世界や印象派の描いた絵画のようで妙な錯覚に
陥いりながら見入った。遠くのなだらかな丘陵に
寒村が点在する。そこへ通ずる長いポプラの並木
道。絵本に出てきそうなかわいらしい農家。どの
集落にも必ず見えたすてきな教会の三角帽子。ま
さにミレーの「晩鐘」の世界が次々に展開する。
あの並木道をどこまでも歩いてみたいと思った。
ドイツのケルンでは、百年ぶりに氾濫したとい
うライン河畔を散策した。ケルン大聖堂と大マル
ティン教会が並ぶライン河畔は、フランスのセー
ヌ河畔のような派手さはないが、しっとりと落ち
着いて重厚に見えた。
私は滞在中に、一人でも多くの外国の人と話が
したいと考えていた。パリの路上で行きずりの3
人の学校帰りの小学生に、私が自分を指して「ジ
ャポネ」と声をかけると、一人の子が「ナカタ、
ナカタ」と茶目っ気たっぶりに叫んだ。「ペルー
ジャ、中田」と私が応えると、その子は、「そう
だよ」と言わんばかりに笑顔を返してくれた。一
緒に写真を撮り、別れ際に「オルヴワール(さよ
うなら)」と習いたてのフランス語で告げると、
先ほどの子が、「サイナラ」と日本語の発音で手
を振って応えたので、ぴっくりした。わずか2〜
3分の出来事であったが、心がほのぼのとしてう
れしかった。また、パリの乗り合いバスの中では、
乗車してきた大柄の若い女性が私の隣に来て、い
きなり窓と天井の境にある換気用の窓をぐいと力
を入れてバタンと開けて座ったので私はびっくり
した。私の驚いた顔を見て彼女はにっこりと微笑
んだ。私もすかさず笑顔で「ユーアーストロング」
と英語でショークのつもりで話しかけると、彼女
は「日本語、少し分かります」と応えてくれたの
で、さらにびっくりした。彼女はかつて短い間で
はあったが日本に滞在したこと、今、日本語を学
習していることなどを話してくれた。彼女は次の
バス停で笑顔を向けてくれバスを降りていった。
パリやプリュッセルを案内してくれた愉快なジ
ョジョさん、明確に通訳していただいたドイツ滞
在での奥村さん、あなた方のお陰で楽しい充実し
た研修ができました。そして、何よりもこのよう
な機会を与えてくださった世界青少年交流協会に
深く感謝したいと思います。
TOP
ホームステイ先での失敗
服部 謙三
二度目の訪問となるフランス・ベルギーよりむ
しろ、初めて訪れるドイツを私は非常に楽しみに
していた。しかし、その前に予定されているアミ
アンでのホームステイ初体験が常に脳裏から離れ
なかった。
日本出国前、荷物整理に追われながら「ホスト
ファミリーへのお土産は何にしようか」と随分悩
んだ。こま、竹とんぼ、折り鶴等は一般的すぎる。
頭をひねった末に出した私の結論は「ざるそぱを
作って食べてもらうこと」だ。さっそく海苔、つ
ゆの素、そば二束、さらにはお箸、箸置き、ざる、
コースター(すべて竹製)、おまけに自分の似顔
絵と絵葉書を用意し、トランクにしまい込んだ。
10月25日(日)交流協会事務室でいよいよホス
トファミリーとの対面である。不思議なことに不
安はすっかり消え去り、逆に楽しみで心が弾んで
いるように思えた。我々(私と鹿児島県のK氏)
が2日間お世話になるご婦人を紹介してもらった
が、さすがにフランス人の発音である。名前が
「ホーネ」に聞こえ(実はルーネ)、K氏は車の
中で訳のわからない英語や鹿児島弁を交えて「ボ
ーン」やら、手の甲を指して「ジャパニーズ骨」
などと言っている。今思えば大変失礼なことをし
たものだ。思うに、K氏と私はいろいろな面で正
反対である。彼は煙草は吸わないしアルコールも
少々、と全く私の逆をいっている。事前研修時に
趣味等の自己紹介を書いた、あの調査書とは一体
何だったのだ。
先行きに一抹の不安をおぼえながらも、そうこ
うするうちにアパートに到着し、5階のルーネさ
ん宅にお招きいただいた。家族はルーネさんと長
男ミカエルの二人、長女は結婚されたとのことだ。
長い昼食を終え(午後3時に終わった)、5日分
の洗濯も済んだ。さあいよいよ夕食の時、私の出
番である。ミカエルを通し片言の英語で鍋、ボー
ル等を出してもらいそぱを茹で始めた。ところが
ガスコンロと違って炎の見えない電磁調理器のた
め温度調節が上手くいかない。しかも一度ふきこ
ぼれたためにルーネさんが熱を弱くしてしまい、
それ以降沸き上がらなくなってしまった。時間に
して10分も茹でてしまい、麺がのびてしまったの
である。つゆはうまく煮えて味もよかったのだが、
4人分の量がない。仕方なくつゆの素を足してミ
ネラルウォーターを入れてかき混ぜた。
こちらが悪戦苦闘中、ふと気がつくとK氏がい
ない。何と彼はシャワーを浴びていたのである。
スッキリしたK氏を見て、次の言葉が出なかった。
シャワー上がりのK氏はご飯(レトルトなので茹
でるだけ)と味噌汁(お湯を注ぐだけ)を作った
のみである。
そばをテーブルにセットし、ディナーが始まっ
た。まずそぱを一口。「鰹節臭い…」「そばにコ
シがない…」その理由は先に述べたとおりである。
日本人がまずいと思っているのだ、到底フランス
人の食べられたものではないだろう。だが、ここ
でK氏のやさしい心配りを見ることになる。彼は
ミカエルの残した味噌汁に麺を付けて、残りのそ
ぱもきれいに平らげてくれたのである。ル一ネさ
んとミカエルには悪いことをしたが、K氏の思い
やりがすごく嬉しかった。
何事も経験するということは、とても大切なこ
とである。この3日間が私の生涯で大変貴重な体
験であったことは言うまでもない。言葉が通じな
くとも、心で通じ合うことのできるすぱらしさを
身をもって感じた。
最後に、各国でお世話になった方々、そしてこ
のような機会を与えてくださった世界青少年交流
協会の関係各位に感謝申し上げ、私の自由課題レ
ポートとさせていただきます。
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固定観念の扉を開放
鈴木 秋弘
フラシス、ベルギー、ドィツという国々は雑誌
やテレビなどからの情報がほとんどでした。です
から、実際にこれらの国々に足を踏み入れてみる
と、頭で考えていたものとは違って見るものすべ
てが新鮮であり、今までの自分の固定観念の扉を
開放してくれました。「百聞は一見に如かず」と
いう諺がありますが、まさにその言葉どおりのも
のでした。ここでは自分が研修してきた内容や風
俗、習慣、歴史観などたくさん感じてきたものの
中から代表的なものをあげて見たいと思います。
ホームステイでは、フランス語がまったくわか
らないので、かたことの英語と身振りで対応しま
した。言葉が通じないというのはたいへんつらい
ものでした。でも、娘さんのチェロ演奏はなかな
かなものであり、雰囲気を穏やかにしてくれまし
た。また、家族とのドライブは北海道を思わせる
広大な景色を見ながら印象的でしたが、高速道路
でのあのスリリングなスピード体験はとてもよい
思い出となりました。(その時は生きた心地はし
なかった)
パリでは歴史を感じさせる街並みが印象的でし
た。特に寺院と教会の歴史と石づくりの重さを肌
で感じました。日本人は新しいものぱかりに目が
うつりやすくなっている今、古いものを大切にし
ていきながら新しいものを見つめていく温故知新
的な考えが必要ではないかと思いました。ルーブ
ル美術館などはテレビや雑誌などで情報を仕入れ
ていきましたが、私の一番の宝物となりました。
食事はうわさのとおり、日本食が恋しくなりま
した。フランス料理もおいしいと思いましたが、
私にはドイツの淡白な塩味風が合っていたような
気がします。それから水代わりに飲むビールもお
いしかったですね。なによりも日本の水のおいし
さを肌で感じた次第です。
ドイツでのキャンプ場の視察では、農家の家を
改築中でしたが、日本では新しいものぱかりとい
う風潮ですが、改築に携わる人も運営する人も一
体となって働いていたのが印象的でした。
余談とはなりますが、フランスのリセの学校の
話ですが、下痢をしまして、男子トイレが工事中
なので、女子トイレに入ってくださいと言われた
ので、さっそく女子トイレに入ってスカッとした
ところ、授業終了のベルがなり、女生徒がトイレ
に入ってきて、出るにも出られず恥ずかしい思い
をしました。今考えてみると自分としては笑い話
となりますが……。
まだまだ書きたいことは一杯ありますがこのへ
んにしておきます。この2週間の視察は私にとっ
てとても有意義であり、多くの仲間と知り合えた
ことがよかったと思います。世界青少年交流協会
の皆さん、どうもありがとうございました。
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EUセミナーに参加して
中峯 健一郎
40歳も超えて、北海道や沖縄にも行ったことの
ない私がいきなりヨーロッパに行くことになった。
外国語なんてとんでもない、薩摩弁も話せないの
にである(私の出身は種子島。いわゆる薩摩弁の
影響はほとんど受けていない)。だから、心のど
こかに外国に言ってもあまり感動することもない
だろうという少しさめた感情があった。
しかし、一歩パリの街並に踏み出した瞬間、私
の心はときめきだした。違う!風が違う、匂いが
違う、光が違う。めまいがしそうな光景の中で、
一つ一つの違いを納得できるまで私の心はゆれ続
けた。まさに、石の文化とも言える街並は何百年
も時間が止まった感覚におそわれ、車の左側通行
は鏡の国に迷い込んだ錯覚に陥り、信号があって
もないような歩き方はパズルの世界をさまよう旅
人であった。
しかし、数日もすると周りが見えて来て、自分
の立っている位置が確認できるようになった。少
しは私にも環境適応能力があったのだと一人苦笑
いした。これが実体験なのだろう。本やテレビな
どで外国のことは知っていても、実際に行って知
ることとはこんなにも違うものかと驚いた。
このことを更に実感したのがアミアンでのホー
ムステイである。私と杉浦さんの二人はアミアン
市内のlO階建てアパートに住むパンチェファミリ
ーにお世話になった。旦那さんはパスカル、奥さ
んはブリジット、子供は4人。長男のフレディリ
ッキ、長女のナタリー、次女のステファニーはパ
リに行って不在だったが、三女で小学6年のオー
ローレが私たちを迎えてくれた。ひげをはやした
パスカルさんは若干英語を話し、何にでも興味を
持っている風で、私たちの話も真剣に聞いてくれ
た。元パリジェンヌのブリジットさんは実家のお
父さんが画家だったのを誇らしげに話してくれ
「さくらさくら」など日本の歌にも興味を持って
いるようだった。私が一番話したのはオーローレ
さんで、日本語で家族の名前を書いたり、折紙が
好きでまた上手だった。このような内容が理解で
きたのはお互いのジェスチャーとパスカルさんの
英語のおかげであり、何とか通じあえるものだと
感じた。しかし、どうしても解決できなかったこ
とがあった。三女のAUROREの発音である。
最初「オウホーオゴ」と聞こえたので呼び掛けて
みたのだが違うという。何度言っても違うので通
訳のジョジョさんに聞いたら日本人には難しい発
音なのでオーローレでいくしかないと言われたの
である。悲しそうにしているAUROREさんを
見ていて、言葉の壁を乗り越えられないもどかし
さを痛切に感じた。
さて、今回のEUセミナーに参加するにあたり
私は「青少年の自主性を喚起する教育システム及
び指導法」について、かつて日本の教育制度を確
立する際参考とした国々がどのような政策を行な
っているのかを知りたいと思っていた。このこと
についても実体験が様々な教育書や映像だけでは
得られない大きな成果をもたらしてくれた。例え
ば、ドイツの社会教育あるいは青少年教育は日本
でいえば福祉的でかつ個を尊重した政策に思えて
ならなかったが、それは、その国の歴史と文化を
反映していることを、現場で見聞することで理解
できた。
今、EUの国々は統合に向けての大きなうねり
の中でその国の教育の在り方を模索しているよう
にも見えた。立場は違うが、日本も21世紀へ向け
て教育改革を進めようとしている。21世紀を地球
人がどう生きようとしているのか、同じ地球に住
む青少年の教育に携わる者として、今回のセミナ
ーは私にとってたいへん有意義であった。
そして、いつかもう一度アミアンに行き、AU
ROREさんをきちんとした発音で訪ねたいと思
っている。
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EUセミナーに参加して
小畑 幸彦
出国5日前に国立赤城青年の家で、全国青年の
家協議会の発表を終え、仙台に帰った後、慌ただ
しく旅行の準備を始めた。15日間という長い研修
なので、少々不安もあったが、中身の濃い内容で、
多面的に青年教育について考える事ができた研修
だった。
今回のEUセミナーに参加し、日本とEUの青
少年問題の違いについて、身をもって感じた。そ
れは、失業問題と移民問題である。
インフレが歴史的な低さに徹し世界市場の40%
が景気後退に陥っている現実を見つめると、EU
の各国民が、雇用の創出と成長の促進を図ること
を期待できる社会主義の政権に期待をかけてくる
のは、当然のことなのかもしれない。(EU加盟
国15カ国のうちの内13カ国(連立含む)が社会民
主主義ないし社会主義政党が政権を担当している。
ドイツでは、ヘルムート・コールから、ゲアハル
ト・シュレーダーに代わり、イタリアでは、元共
産主義者で今でもその流れを組む人物が政権を率
いている。保守はスペインとアイルランドだけで
ある)
ベルギーの青年会館では、北アフリカ等から移
民してきている青少年を集め、語学の学習や麻薬
売買禁止の指導をしていた。
モロッコから移民している子供は、家に帰って
も、フラマン語やフランス語を親ができないので、
宿題等は、青年会館で行っていた。
また、麻薬については、1O歳くらいの子供でも、
どこでどんな種類の麻薬を買うことができるかを
知っているし、コカイン1gを10ドルで仕入れ、
35ドルで売れることも知っているそうだ。
また、社会教育センターでは、様々な青年活動
の支援をしていた。壁塗り、電気工事、大工等の
職業訓練をさせながら、実際にセンターの施設を
作らせ、国の免許を与えるなど、日本でいう職業
訓練所的な活動をしていた。
フランス・ベルギー・ドイツとEU3ケ国を回
らせていただいて、私が描いていた青少年教育と
はほど遠く、非常に現実的なものだった。
日本は、実際の地図と言語地図と民族地図がほ
ぼ重なり合う国で、多様なものは認めにくい国で
ある。
日本の場合、ベルギーのような活動は、青年教
育施設が行うものではなく、他の省庁の管轄だと
いう意識がある。
今後は国際化にともない、日本も多様性を評価
する社会に変容していくと考えられる。
青年教育施設がその先導的役割の場として位置
づけられ、様々な活動をすることを期待したい。
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ヨーロッパ雑感
杉浦 明
「えっ、この年齢でホームステイやるの?」
事前研修で日程表を渡された際の最初の印象が
これであった。できたての県の施設で、以前にこ
ういう研修に参加した人もいないため、予備知識
などほとんどない状態でオリンピックセンターま
でやってきたのであるが、周りを見ると、かなり
外国慣れしている方も多いようだった。「チェッ
クはドルのほうが良い」とか何やらと話に花が咲
いていて、焦りというより何か場違いなところに
いる感覚を抱きつつ、研修中ずっと「これは大変
なことになりそうだ」と感じていた。
そして、事前研修から出発までのおよそ1ケ月
間、せめてフランス語の挨拶くらいはと思いつつ、
気がついたら出発直前というのが実状であった。
そんな状態であったから、ホームステイ当日ま
で私自身の不安感は、常に高いレベルにあった。
それが最高潮に達したのは、アミアンのセンター
で受入先の家族と初対面の挨拶をすませた後、そ
の家族の車でお宅まで送ってもらう20〜30分間。
こちらは何か話さなくてはと思いつつことぱが出
ず、運転しているパスカル氏も車内の緊張をほぐ
そうと街の様子をあれこれ説明してくれるのであ
るが、こちらの硬直度は増すぱかり・・・。
お宅に到着し、オーロール(彼女の名前を私た
ちは最後まで正しく発音することができなかった
のが心残りなのであるが)をはじめ子ども達とも
身ぶり手ぶりでコミュニケーションを図る努力を
し、何とか笑顔をつくれるようになってきた頃か
ら、あの不安感はだんだん影を潜めるようになっ
てきた。
そのうちに隣に住む友人のパトリス氏も加わり、
ドライブや食事を共にさせていただいたが、彼ら
は私たちとのコミュニケーションをとるために仏
英辞典を携えていて、こちらの様子を見ながら
「今のことばの意味はこれだ」というように、英
語の部分を示してくれる。ところが、こちらはそ
うやって示された英語の意味も十分に理解できな
いという情けない状態ではあったが、何となく伝
わってくるものがあり、時間の共有が心の壁を低
くしていくことを目の当たりに感じた。
このホームステイは、自分の全人格・全能力を
さらけ出さざるを得ず、自分で自分を見つめる良
い機会にもなった。
さて、一方今回の研修では、EU内3ケ国の多
くの施設や学校・機関等を訪ね、有益な話をうか
がうことができた。最初のうち、私の思考の振り
出しには、どうしても日本の教育制度や教育課程
・自らの中学校教員としての体験が居座ってしま
い、それとの比較という大変おこがましい構えを
とっていたように思う。しかしそれでは、単に日
本の教育との相違点を見つけるだけで終わってし
まうことになる。国によりシステムの面でも人的
な面でも相違があるのは当然で、それを踏まえた
上で、それぞれの国や地域の教育に対する根本的
な考え方から学べるものは何かを捜していくべき
と思うようになった。この点に関しては資料等を
見直し、今後もまとめの考察をしていかなくては
と思っているが、一例として学校が閉ざされた小
宇宙になってはいけないこと、そしてそれを模索
する一つの姿を今回訪問した各地で見聞できたこ
とを挙げておきたい。
最後になったが、このような貴重な機会を与え
てくださった関係各位に心よりお礼申し上げる次
第である。
TOP
外から見てみると……!
山本 忠
「我が家の屋根は外から見ないと分からない」
とはよく言われるが、至極名言との感を強くした。
青少年関係の教育や活動にたずさわって長い年月
がたつが、このセミナー研修の中で、いろいろと
考えさせられたりほっとしたりすることが多々あ
った。以前『もう外国から学ぶものはない、これ
からは日本人が創造性を発揮して世界に範を示す
ことが大切』との指摘を耳にしたことがあったが、
そうではないのではないかというのが今の実感だ。
例を挙げながら報告してみる。
まず、ホームステイしたフランスの家庭の生活
は、意外にも質素そのもの。必要なところだけに
灯る照明や控えめな暖房など、無駄のないものだ
った。しかし、かといって『くら一い』というも
のではなく、家族や友だちとの会話のためにゆっ
たりと時間は流れていた。もちろん食事の時間に
テレビはついていない。会話を楽しむとともにそ
の中で、家族がお互いを大切にしているようだっ
た。もちろん会話を円滑にするための潤滑油にお
酒は欠かせないものだが……! こうした暖かさ
が家庭生活の基本であると痛感した。
次に食事はというと、豪勢というものではない
のだが、野菜を中心として手をかけたメニューが
多かった。ホームステイ先では、ご主人の手料理
での歓待であった。めいめいに配られる1枚のや
や大きめの皿で、いろいろなおかずを度々とれる
ように工夫しているのは意外だった。我々がレス
トランで経験するように、次々と新しい食器がで
てくるものではなかった。その上、主食のパンが
最後には皿をきれいにふき取るために使われるな
ど、思ってもみない活用方法もあった。これなら
食べた量に対して、洗うものが少なくて助かるし
環境にもよいだろう。(ただ脂っこいのと量の多
いのにはまいった)
地域でのくらしについてみてみると、どんな小
さな集落であっても中心の場所には教会があった。
それほど人々の生活と宗教とが結びついており、
精神的な支柱であり住民の誇りとなっているのだ
ろう。だから学校でなくても、家庭や地域の中で
倫理面の教育がなされているようだ。それがその
まま当てはまるかどうかは分からないが、地下鉄
やバスに乗った時、日本のシルバーシートのよう
なものはなく、年長者の人などが入ると、若年層
で、私も年輩の女性に席を譲るようにとまくした
てられた。こうした姿は、最近の日本ではついぞ
見られない光景となってはいないだろうか。
また、教会と並んでコミュニティハウス(公民
館的なもの)も充実しており、放課後の子どもた
ちは、地域にあるそうした施設を活用して、自分
の興味のある活動を行い、学校では味わえない体
験や友達との出会いを楽しんでいるようだった。
このような施設が身の回りにあれば、自分の求め
るものが見つかりやすく、世界も広がっていくこ
とだろう。
陸続きで国と国が隣りあっているEUの国々で
は、車を交通の手段として大変重要視している。
車先進なので、最新式の大きなものを使っている
と思っていたが、意外や意外。新しい古いは全く
関係なく、実質第一で特に小型の車が大変重宝さ
れていた。しかし、小型だからといってスピード
は出す。『これで正面衝突したら・・』などと何
度も思ったくらいであった。
それくらい車を酷使するにもかかわらず、横断
歩道に人が立つとどの車も止まってくれる。子ど
もたちの方が車の通り過ぎるのを待つ登校風景の
我が国とはちょっと異なる。また車どうしでも、
進路変更の合図を出すと、すーっとその部分を空
けてくれる。日本では残念ながらこうはなかなか
いかないだろう。車に乗る上でのマナーを心得て
いる。
そのほかでは、道路は馬車に代わって車で走っ
ているとおおらかに考えていることとか、信号よ
りもロータリーで三叉路や四叉路、時には五叉路
で合流するなどというように、自分の判断で責任
をとればよいという考えが浸透しているようであ
る。
こうした考えが根付いているのは、「みんなが
持っているから」ということに代表されるような、
物によって豊かさが基準とされているものではな
く、少しばかりは物の不足はあるだろうけれども、
人と人のつながりやコミュニケーションを大切に
し、そのためには会話の中で自分を表したり相手
を理解したり、また相手を思いやったりすること
で、心と心のつながりを深めていくことの楽しさ
を重視していることがまず1点目である。(しゃ
べり出すと長いし論議好きでもあるが)
2点目としては、責任は自分でとることを大切
にしていることである。そのために、自分の感覚
や能力を磨く努力は常に図っている。などなど。
かつて我が国でも当たり前にしていたことが忘れ
られているのではないだろうか。このようにゆっ
たりとしながらも自己責任を持つという考えで家
庭や地域社会において日々過ごしているのだろう。
振り返ってみると、今青少年の「心の教育」が
求められているが、心を育てることは長い時間と、
様々な体験や周囲の環境を通して少しずつ育てら
れていくもの。そのために、我々大人は子育てや
家庭生活の中で、色々と期待をして性急に結果を
求めすぎてはいないか。大人が、余裕を持って子
どもたちに接し、子どものよい点を見つけてほめ
ることや話をする時間が必要。それにより、他人
へのやさしさを欠いたり、刹那的に自己のみの快
楽を求めたりする「利己主義」の子ではなく、真
の「個人主義」が身についた子へと育てられるの
ではないかと思った。
それから、自国の歴史や言葉を家庭や地域社会
で非常に大切にしていることが印象的だった。
TOP
帰国して思う
風間 仁子
私はこの度、EU3ケ国を訪問する機会に恵ま
れ、素晴らしい実りある研修をすることができま
した。初めは今回のEUセミナー団員の中では、
女性1人ということで、少し不安もありましたが、
皆さんにとても親切にしていただき、思い出深い
楽しい旅をすることができました。
私は現在の職場にくる4年前までは、県立高校
の養護教諭でしたが、その頃の高校生の就職状況
は、少しつつ求人が減り、就職浪人もではじめて
いました。しかし、失業率の高いEUの青少年の
ような深刻さはなかったようでした。その点、日
本の青少年はまだまだ幸せだと感じました。
また、青少年の薬害についても、高校に勤務し
ていた頃には特に身近な問題としての意識はあり
ませんでした。しかしフランスやベルギーで青少
年の現状の説明を聞く時、しばしば麻薬の売買や
健康面等で薬害の問題が出されたり、ドイツでは
25年前から青少年の薬害に対して取り組んでいる
という話を聞いて、日本よりもずっと大きな問題
なのだということを知りました。ドイツの初期の
取り組みは、青少年に薬害について多くの情報を
流したことにより、逆に増加してしまったという
反省から、現在では1人の人や、1つの薬害にだ
け対応するのではなく、青少年の時期に何をすべ
きか、今何が大切な事なのかを、家族(両親)や
友だちとの会話を通して、話し合う機会を多くも
つように働きかけているということです。私は帰
国してすぐに、地域の警察官(少年課)の話を聞
く機会を得ましたがその中で、日本の高校生の覚
醒剤等薬物による検挙数は、平成5年の38名から、
平成9年には219名とあり、わずか5年間で6倍
になったということを知りました。生徒に薬害に
ついての啓蒙を開始したというのです。
このような話を聞いて、尚一層、今回の研修中
に各国で聞いてきた話が、私の中でだんだん重く
大きくなってきています。ドイツで聞いた−−青
少年の時期に何をすべきか、今何が大事なのかを
考えさせることが大切である。−−という考え方
は、薬害だけにではなく、何にでもいえることで
はないかと思います。私は今後、青少年との関わ
りの中で、私自身がこの言葉を忘れず、そして相
手に問いかけ、また話し合えるような指導者にな
りたいと思いました。
最後に、このような素晴しい機会を与えてくだ
さった世界青少年交流協会、また通訳の方々、リ
ーダーはじめ団員の皆様、心よく送り出してくれ
た職場の皆様に心より感謝申し上げます。
TOP
行って見なけりゃわからない!
菊池 篤志
ヨーロッパに行ってわかったこと。
フランス人にはあまり背が高くない人が多いこ
と。それなのに、男子の小便の便器が高い位置に
あること(たぶん、足が長いのだろう)。そして、
その小便器には一人一人の仕切がないこと(たぶ
ん、自信があるのだろう)。
美しい中世風のたたずまいを見せ、大聖堂や美
術館が建ち並ぷパリの街で足下を見ると、犬のふ
んや小便が散乱していること(ここだけはちょっ
と残念)。
フランスの料理の味はけっこう濃いが、ハムや
バターは素晴らしくうまいこと。朝食は質素なこ
と(気が楽でよかった)。昼食、夕食に恐ろしく
時間をかけること。フライドポテトを山のように
食べること。
「フランス人は頑固で自分勝手、しかも自分の
国の文化が一番と考えていて、英語などはわかっ
ていても話さない」ということはなく、けっこう
この姑息な日本人に対して、わかってもらおうと
努力している姿が印象的だったこと。
ドイツ料理のソーセージは巨大なこと。豚のも
も肉の丸焼きはもっと巨大で、ゼラチン質の脂肪
が2〜3センチあるにもかかわらず、それをぺろ
っと食べてしまう人がいること。
ドイツでミネラルウォーターと言うと、ほとん
どが炭酸入りだということ。
ドイツ人は、説明を早く切り上げるなどという
いい加減なところは毛頭なく、時間通りきっちり
行動すること(この辺は日本人も同じか)。
ヨーロッパのバスの運転手は環境を考え、アイ
ドリングをしないこと。人なっっこく、話し好き
なこと。よく道を間違え、Uターンすること。
ヨーロッパで初めて知ったことが他にもいっぱ
いありましたが、書ききれないのでそれくらいに
します。
雄大な景色や歴史を感じさせる建物や芸術など
はよく聞いたり目にしたりできますが、生活の中
の細かい部分については知らないことが多く、新
たな発見が数多くありました。その国の上辺だけ
ではなく生活の中まで垣間見ることができ、それ
ぞれの国に、今までには感じたことがない親近感
を覚えました。
やはり、行ってみなくてはわからないものです。
もし行っていなかったら、一生変わらないイメー
ジでそれぞれの国を見ていたのではないかと思い
ます。そう考えると、まず体験することが大切だ
としみじみ感じるのです。
やってみなけりゃわからない。行ってみなけり
ゃわからない。食べてみなけりゃわからない。
体験こそがなによりの勉強です。
この体験をさせてくれた世界青少年交流協会の
皆様、長い期間、こころよく送り出してくれた所
長はじめ職員の方々、各国で我々を受け入れてく
れた皆様、その他多くの関係者の皆様に心から感
謝申し上げます。
TOP
三国訪問記〜EU〜
村木 聖一
プロローグ
憧れのフランス、そして、ベルギー・ドイツと
今回のEUセミナーは、使命としての青少年教育
施設の現状と課題の研修はもちろんのこと、一生
に一度は訪れてみたいと考えていたヨーロッパの
諸国を訪問できる喜びで一杯であった。
フランス編【憧れのパリ・ホームステイ】
本やテレビ等で見慣れていた景色を目の当たり
にして見ると古い建物とパリの人々の関係が心憎
いほど見事にマッチしている。目的地やメトロの
利用の仕方など尋ねると、見知らぬ旅人に対して
も親切に答えてくれる人々に出会えた。また、短
い時間ではあったが、ルーブル・オルセー美術館
の作品のすばらしさに感動し、本物に出会うこと
ができた喜びを忘れることはできない。
不安と期待のホームステイは、英語が多少話せ
るということを聞き、何とかなるかなと思ってい
たところ、実際には全く通じず、唯一通じる英語
は、「ノープロブレム」であった。以後困ったと
きには、笑顔で「ノープロブレム」である。それ
でも、仏英辞典を頼りに、身振り手振りで何とか
時間を持たせた。時間をかけた昼食の後、村の写
真展に連れられ、突然アンケートのような審査用
紙を渡された。これには驚いた。しかし、素朴な
写真の表情にゆったりとした時間の流れを感じる
ことができた。その後に、訪問したホストファミ
リーの友達のおばあさんの家で、会話?が途切れ
そうになったので、壁に掛けてある教会の写真を
指差したところ、教会を見たいのかというような
ことになってしまい、何とそれから、教会と墓地
巡りになってしまったのである。思いもよらない
展開に身を任せるしかなかった。なぜなら、少し
でも退屈させないようにとの心遣いであったと考
えられるからである。しかし、フランスの片田舎
の墓地に日本語でメッセージを残せたことは、国
際親善に貢献することができたのではないかと今
となってはよい思い出である。
ステイ先の主人は、画家で私たちのために絵を
描いてプレゼントしてくれたり、夫人は、ドライ
ブやアミアンまでの送迎をしてくれたりと、言葉
の通じない私たちのために、一生懸命もてなして
くださり感謝に絶えない気持ちで一杯である。
ベルギー編【多民族都市ブリュッセル】
人種問題や失業問題など深刻な問題が山積して
いる。ちょっと町外れへ出ただけで、スラム街の
ような感じで、青少年教育施設がこれらの問題に
対して、重要な役割を担っていた。
ドイツ編【研修に継ぐ研修ボン】
連日、遅くまで青少年教育の現状の説明を受け
た。やはり、ドイツである。そんなスケジュール
の中、合間を縫って、地元の青少年の現状を実際
に探ることを課題に、ボンの街へ出かけた。ここ
でも、見知らぬ日本人に対して、好意的に話に応
じてくれた。職業を訪ねてみると、失業中とのこ
とであり、各施設等で説明を受けた内容を実感と
して捉えることができた。
エピロ一グ
フランスの街中を歩いていると「メルシー」・
「パルドン」などとてもよく耳にした。心地よい
挨拶であり、いつしか自分でも自然に出ていた。
日本では、どうであろうか。近年、挨拶ができな
い青少年や住民が多くなっている。異国の地で挨
拶の大切さを再認識させられた研修でもあった。
最後に、このような機会を与えてくださった関
係者の方とリーダーをはじめ、団員の皆様には、
大変お世話になり、厚く感謝申し上げたい。
TOP
井の中の蛙・・・
金子 初男
井の中の蛙が、古巣の井戸を飛び出し、旅に出
た。・・・・・
一面の白銀の世界、シベリアの上空を飛行し、
12時間後に着いた異国の地フランス。バスの中で
のジョフォアさんの軽妙な語りに気持ちが和む。
オペラ座の通りをホテルに向かいバスから降りる
と、放射状に広がる、歴史を物語る建物に囲まれ、
まず圧倒された。
翌日、ジュアンルルカ高校にてフランスの教育
制度の概要について説明を受けた。失業率の増加
が教育にも影響を与えていることが、その説明の
端々から伺えた。仏独青年交流センターではお互
いの国々の文化を理解し、尊重し合う交流事業に
ついて、国際理解を目的とした主催事業とも重ね
合わせながら興味深くお話を伺った。次に訪れた、
1000クラブ作りをキャッチフレーズにし、実際に
青年たちのために1000箇所の活動場所を作ったス
ポーツ青年省では、フランスのスポーツ振興にか
ける熱意を感じた。後日訪れたフランスサッカー
ナショナルチーム練習場で、その思いを新たにす
ることになる。その日の夕食は、エッフェル塔内
レストランでの会食となり、そこでの夜景は今で
も私の目に焼きついている。
次の日は、モンマルトルの丘、ノートルダム寺
院、コンコルド広場から凱旋門へとパリ市内を見
学した。それにしても、パリの人たちは信号をあ
まり気にしないで歩いて行く。いつしか私たちも
すっかりそのことに慣れてしまってきていた。
フランスの思い出といえば、やはりアミアンで
のホームステイだが、お世話になったサンティプ
夫妻は私たちをとても温かく迎えてくれた。ご主
人のジャーキーさんは、養護施設の教員をしてい
て、英語が話せたので助かった。音楽好きの、と
ても明るいご主人だった。奥さんのクローデット
さんは、おいしいフランスの家庭料理で私たちを
もてなしてくれた。海辺までのドライブ、そして
海岸沿いの古い町並みの散歩、夕食でのムール貝
など、お二人の笑顔と共に忘れられない思い出と
なった。
フランスからベルギーへは隣町といった感覚で、
気がついたらブリュッセルの町。青年会館でベル
ギーの青年活動や社会教育施設についてお話を伺
ったが、多民族の流入ということもあり、ここで
も失業問題がひとつの課題となっていた。それを
補うかのように、社会教育施設は職業訓練的な色
彩を持っていた。翌日、古都ブリュッセルを見学
した後、ドイツヘと向かった。
ボンへの到着時間が遅れ、夜9時15分からのレ
クチャーということになったが、ドイツ流の几帳
面さに、何か日本と近いものを感じた。
次の日、ドイツ家庭高齢者女性青年省の方々の
お話を伺った。私は今回、『環境』をテーマのひ
とつとしていたので、折にふれて環境への取り組
みについて質問したり、ゴミの分別の様子をカメ
ラに収めてきたりした(仲間から、「環境庁」と
呼ばれていた)。そんなこともあり、ここでの自
由意思による社会奉仕とエコロジーについての説
明(ボランティアを法制化しようとしていること
など)は、大変興味深かった。
ドイツではこの後、青少年キャンプ場や「遊戯
の家」などの青少年教青施設や実科学校を見学し
たが、どこもよく行き届いていると感じた。ボン
中央駅でのストリートワーカー(青少年保護)の
仕事現場では、失業問題や薬物問題など別の一面
を垣間見ることができた。フランクフルトには、
ユーロ通貨開始までの秒読みを示す掲示板があり、
EU統合を間近に感じながら、帰路へと向かった。
古巣の井戸に帰った蛙は、そこが今までとはま
た違ったものに見えてきた。このような貴重な経
験の機会を与えていただいた関係者の皆様とリー
ダーはじめ団員の皆様には、厚く感謝いたします。
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「EUセミナーに参加して」
中尾 雅文
今でも目を閉じれば浮かび上がってくる、あの
風景、あの場面。パリの町並みにグラン・プラス
広場、そしてケルン大聖堂と、目に映るもの全て
が新鮮で、感動の連続であった。
ちなみに、パン好きの私にとっては、本場のフ
ランスパンは最高で、毎日食べ放題の幸せな日々
であった。(誰よりも多くパンを食べたことが、
唯一自慢できることである)
それはさておき、今回のセミナーのいちばんの
収穫は、今まで映像や写真でしか見たことのなか
ったヨーロッパを、自分の目で確かめ、自分の足
で歩き、そこでの人々とのふれあいを通して感じ、
知ることができたことである。メインであった青
少年教育施設の訪問では、各施設の取り組みを興
味深く聞かせてもらい、施設職員として今後の在
り方を考えさせられた2週間であった。また、初
めて体験するホームステイでも、家族との交流の
中でその国の生活習慣や文化を肌で感じることが
でき、一生忘れることのできない思い出となった。
「百見は一体験に如かず」まさにその言葉通り
の2週間であった。体験記を書けぱきりがないが、
特に印象に残った点をいくつか挙げてみたいと思
う。
○フランスに向け、いざ出発
「まもなくド・ゴール国際空港に到着いたしま
す」成田を発って12時間。雪と氷で閉ざされたシ
ベリア平原から群青色のバルト海、そして目的地
のパリヘ。いよいよセミナーの始まりである。雲
の隙間から見えてくるマッチ箱のような民家とベ
ージュ色の農場、あの時の胸の高鳴りを今でも思
い出す。
それにしても、落ち着きのない私にとっては、
12時間の旅は思っていた以上にきついものであっ
た。でも、これも貴重な体験の一つである。
○フランスでの食事
空港到着後、バスでパリヘ向かう。途中ワール
ドカップの会場となったスタジアムの横を通り過
ぎ、その辺りから、未知の世界への期待で胸がふ
くらんで来る。
その日の夕食は、パリの町で。ワインで始まり、
ゆっくりとしたぺースで料理が出てくる。居眠り
をつきながら最後のデザートを食べる。それもそ
のはず、日本では真夜中の時間である。その時初
めて時差を実感する。
フランスでは、食事が一つのコミュニケーショ
ンの場となっている。料理を味わいつつ、お互い
の会話もはずむ。本当に楽しそうに食事をする。
日頃5分ぐらいで食事を済ませ、いそいそと午後
の仕事に取りかかる自分にとっては、最後までそ
のゆったりとしたぺースになじめなかった。
○ホームステイ
私たち2人を迎えてくれたのは、5人家族のデ
ューワス家だった。
今回、いちばんの心配は「言葉」であったが、
幸い大学生の次女が英語ができ、通訳代わりにな
ってくれたので、何とか会話をつなげることがで
きた。夕食の時も、家族全員が一生懸命私たちの
片言の英語を聞いてくれた。どれだけ通じたかは
わからないが、それでも徐々になごやかな雰囲気
になり、心の交流を実感できた一コマであった。
初日に、いきなり留守番を任された時には、本
当に戸惑った。食事を含め全てが普段通りで、決
して日本人流の特別なもてなしでなく、まるで家
族の一員になったような感じだった。でも、その
おかげで逆に気持ちが楽になったことは確かであ
り、家族と共に本当に有意義な3日間を過ごすこ
とができた。
「人と人との交流の第一歩は、その人の全てを
受け入れるところから始まる」今回大切な勉強を
させてもらった。
○青少年教育施設を訪問して
各国とも、失業問題や人種問題を中心として同
じような課題を抱え、訪問した青少年教育施設で
も、その課題との関わりの中で様々な取り組みが
行われていた。
特にドイツの「青少年の家」では、青少年の自
主性を育てるために、体験や交流を重視したプロ
グラム展開がなされており、学ぶべき点が数多く
あった。
また、人種や失業の問題に対しても、行政、学
校、地域が一体となって取り組んでおり、お互い
のサポート体制などたいへん参考になった。
セミナーを終え、「よし、これから英会話の勉
強だ」と固く誓ったあの時の熱い思いを大切にし、
2週間の貴重な体験を今後に生かしていきたいと
思う。
最後になりましたが、今回の機会を与えてくだ
さった関係者の皆様に深く感謝いたします。
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セミナー雑感
森田 学
10月21日、期待と不安を抱きながら成田を飛
び立った。せっかくの機会であるので公式訪問
だけでなく、いろんな観点から3カ国を見学し
てみようと考えた。今回のセミナーで一番心配
だったのは、アミアンでのホームステイであっ
た。しかし昨年の報告書に「言葉より心」とあ
り、その通りなんとか二泊三日、無事に過ごす
ことができた。ご夫婦やお孫さんの写真と私の
家族の写真を交換しあったが、今でも、奥さん
の優しい笑顔、ご主人の大きなジェスチャー、
奥さんが丁寧に洗ってくれた洗濯物の匂い、片
時も離さなかったご主人の紙巻き煙草の香りが
懐かしい。なにか、大きな宝物のように、私の
心の中で輝いている。
フランスという国については、伝統的、権威的
という、どちらかというと負のイメージを持っ
ていたが、ホームステイや通訳のジョジョさん
のおかげで払拭された。
パリ市内は、とても美しく華やかであった。凱
旋門やコンコルド広場、セーヌ川を行き交う観
光船、ノートルダム寺院、ルーブル・オルセー
美術館等、歴史的な建物、石畳の道、エッフェ
ル塔からの夜景も素晴らしかった。
「ヨーロッパの十字路」と呼ばれるベルギー
も印象に残っている。グランプラスに代表され
る中世の面影を残す街並み、石畳の道、それで
いてEUの本部の置かれている首都ブリュッセ
ル、ヨーロッパの新しい波がいち早くおしよせ
る国だなと思った。
ドイツではやはり、その真面目な国民性に驚
き感心させられた。フランスやベルギーではあ
まり信用しなかった(?)交通信号をドイツでは
しっかり守った。早朝6時日本に電話をするた
めホテルの外に出た。あいにくの南、あまり車
は走っていない。しかし、おばあさんが一人、
横断歩道の信号を待っていた。また、フランス
やベルギーでは訪間の瞬間にも多少の幅があっ
たが、ドイツでは絶対にそんなことはなかった。
常に熱心に説明していただいた。通訳の奥村さ
んも精一杯、頑張ってくださった。
まだまだ「社会教育」「青少年教育」につい
ての考えもしっかりしていない私にとって、訪
問した施設は、これまでの概念にあてはまらな
いものが多かったように思えた。勿論、「青少
年教育」など教育制度やその施策は、その国の
歴史や社会状況を反映したものであることは当
然のことであるが、あまりにも、「個」を重視
したもののように思えてならなかった。しかし、
今回のセミナーがこれまでの私を変えてくれた
ことは確かであった。
期間中、ヨーロッパは、日本の晩秋から初冬
の趣があり、大変よい季節であった。学生時代
からの憧れであったドイツ古城も大変よかった。
最後に、今回の研修で大変お世話になった世
界青少年交流協会の皆様、団長さんや団員の皆
様方、また、職場の方に心から感謝申し上げま
す。
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